2025年元旦の出来事
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- 1月2日
- 読了時間: 3分
更新日:1月7日
昼から店で仕事を始めようと出勤
その時に撮った写真が↓
雲もなくいい天気
2024年元旦には能登地震が起き、ざわついた元旦であったため
今年は穏やかな日を過ごせそうだと…
思ったのも束の間
神棚のお酒やお米
新しいお札を置いているときに
父からの電話…
「おいどこにいる?」
午前中に新年の挨拶をしたため…
にしては
開口一番おかしな事を聞く
「ん? お店に来て仕事しようとしていたところだけど」
と自分が言い終わる前に
「あーそうか、お店か、おじちゃんが亡くなった」
「な??? なんで? あれだけ回復してたのに」
「急変したらしい…昨晩だったって、おばちゃんが、維彦に電話しきらんから、
電話してって、今、俺も聞いた」
自分が小学生で内之浦町に住んでいる頃、
農協の獣医さんがいて、
父と獣医さんが知り合いになったのをきっかけだった
その獣医さんがおじちゃん。
いまだに自分が「おじちゃん」と呼ぶのは
呑兵衛で、鹿児島弁で冗談ばかり言う
その人柄と愛嬌ゆえ
おじちゃん家族は、農協に勤めていたため、大隅地区を中心に転勤が多かったが
自分が高校に入学する前に今の家を建てられた。
そして、縁あって高校生の自分は2年生の時から
その家に下宿(居候)をすることになった
2年間、家族同様におじちゃん、おばちゃんに育てられた
おばちゃんは、若い頃から妻の母と友達であったため
妻の父とおじちゃんも飲み友達
下宿している高校3年生の時に妻と付き合っていることを知ったおじちゃん、おばちゃんは
かなり驚いた様子だった
自分の小さい頃も知っていて
妻の小さい頃も知っている
自分たちが結婚する時、当然、おじちゃんおばちゃんは仲人確定
結婚披露宴の仲人挨拶が終わるまで、おじちゃんは一滴も酒を飲まなかった。
ど緊張で辿々しい挨拶を済ませた後に
式の途中で、
「お役目が終わった!
おや(俺は)飲んでな(飲むからな)!」
とニコニコしながら横で飲み始めたのが昨日のように思い出される
自分達と会う時は
いつもニコニコしていた
人との付き合い方
人を喜ばせる話し方
雰囲気の作り方などなど
いろんなことを学ばせてもらった
こんな陽気なプラス思考の人間になれたのも
おじちゃんのおかげ
昨年の暮れ倒れて一時危篤となり
人工呼吸をして意識がない状態であったが
それを乗り切り
大晦日の昼間は
看護師さんに「点滴に小鹿(焼酎)入れっくれ」
と冗談を言うまでに回復していたようだった
その晩に亡くなるとは…
誰も予想していなかった
今、最後の最後に会うために
鹿児島に向かう新幹線の中
目を瞑れば
おじちゃんとの思い出ばかり

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